■1953年7月、来日したフランス柔道連盟会長のポール・ボネモリ氏の招聘により、 ヨーロッパ柔道の普及のためにフランスへ渡ることになる。

当初の契約では、無報酬、一年間という事であったが、これが道上の運命を現在へと繋ぐ縁となる。

 

空港にて

 

すぐに各地で柔道師範に対しての講習会を開くと共に「心技体」の鍛錬を説いている。

 

●心技体

その当時、「心技体」という言葉は存在していなかった。
1940年代に上海において外国人達から
「柔道とは一体なにか?」
との問いに道上が「精神善用」などの表現をひかえ、
「心技体」 という言葉で説明したのが始まりだと言われている。
それが現在の我々でも知っているほどに広まっていった。

 

柔道の最終的な目的は心技体の錬成であり、それによって立派な人間になることである。 技術を習得するには強靭な精神力が必要である。 苦しさに耐えて修行を続行しなければならない。 それによって体力もできるとともに心ができ武士道がわかってくる。

道上は彼を歓迎して催される柔道大会で、毎回十人掛けや十二人掛けを行い、見事な速さで完勝
した。 圧倒的な強さを常に見せつけ、柔道の本分が精神的な物である事を説いたのである。

(未だに、ヨーロッパでチャンピオン級を相手に十人掛けを成功した者は日本人を含め、皆無である。)

 

講習会より

 

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